『スリー・ビルボード』のこと(ネタバレ有り)

だいぶ時間が経ちましたが、自分なりに『スリー・ビルボード』を鑑賞した感想や感じたことを書いていきたいと思います。
ストーリーや登場人物の背景等にも触れるのですが、全く知識を入れずに鑑賞した方が確実に面白い作品ですので、その部分だけご留意ください。



この作品の大まかなストーリーは、レイプされ焼死体として発見された少女の母親が一向にに進まない地元警察の捜査に業を煮やし、町の外れに三枚の広告を出したことから起った一連の出来事となっています。

メインで描かれるのは、被害者の母親であるミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)、地元警察の署長ウィロビー(ウディ・ハレルソン)、そして彼の部下である巡査のディクソン(サム・ロックウェル)の三人の登場人物。
この三人が事件にどう関わり、どういった顛末を辿るかということが話の主筋になっている。

大まかな感想を言ってしまうと、こんなにも鑑賞していて感情をぐちゃぐちゃにされた映画も久しぶりだった。
とにかく、話が進んでいく方向が見えない。どのように進行し、どこに着地するのかまったく予想が出来なかった。

最初、ミルドレッドが町の外れに看板を設置するところから始まり、彼女と地元警察のやり取り、ウィロビー署長の個人問題、ディクソンに起きた出来事、そして事の始まりであるレイプ殺人犯探し。
これらがある程度順番通りに進行していくのだが、それを織り成す登場人物全員が多面的過ぎるほど様々な面を有している。

ミルドレッドは、娘を殺された母親だが、その悲劇性を描き消してしまうほど激情にかられ、時に子供への暴力すら辞さない。しかし、一人の女性として内面的に脆い部分もあるし、夫と別れ一人残された息子を愛する心優しい母親の一面も有している。

ウィロビー署長は、一見田舎の警察の高圧的で怠惰なボスのように映るが、職務に忠実で、家族や部下を愛している。ディクソンが抱えているものを理解し、その感情をどう処理していくか、光明を与え彼の運命を大きく変えていく。だが、"癌による余命宣告"という大きすぎる個人問題を抱えている。家族のことを思い、美しい思い出と共にこの世を去ることを選ぶ。だが、彼が最後に見せた、意地の悪い"茶目っ気"。あの一点で、私はこのウィロビー署長は、決して単純な善人では無かったのだと思い知らされたように感じた。

そして恐らく作中で一番の人間的変化を見せるディクソン。最初の印象はこの男が一番最悪に見える。粗暴で怠惰。暴力的で差別的。おまけに教養が無く、頭の回転もいまいち。警察に対抗したミルドレッドを目の敵にし、妨害として彼女の同僚を逮捕勾留までしたりする。しかし彼が他者に対して攻撃的なのは、自身が抱える“同性愛者”というコンプレックスによるものだった。世界的にLGBTへの理解が深まったと言っても、アメリカには依然としてそういったものへの無理解と偏見や差別が蔓延している。ましてや、アメリカの片田舎。村社会が形成されているあの町では、ディクソンのカミングアウトは致命的なものになりかねない。

それ以外の人々もそれぞれがそれぞれに内面の多様性を持っている。ミルドレッドの息子は穏やかでいき過ぎた行動をとる母親を時に疎ましく感じながらも、その母親を守る為には父親に包丁を向ける。そのミルドレッドの元夫は、彼女に対しては暴力をふるいながらも時に愛情を見せ、別居していた娘や新たな恋人とは良好な関係を築いていたらしい。小人症の男は恋愛に対する不器用さやコンプレックスを見せつつも、自分を侮る者に対しては劇中の誰よりも誇り高い態度を示して見せる。ミルドレッドの気持ちを大きく変えるある言葉は、ずっと頭が弱いと言われていた元夫の新たな恋人が放ったものだ。

人は誰しも、良くも悪くも他人には決して見せない多面性を抱えている。私だって親しい人はおろか、家族にだって見せない、見せたくないものを抱え込んで生きている。しかし、それは何らかの出来事を通して突然表出することがある。これまで隠されてきた内面が暴かれた時、周囲の人々はどう影響され事態はどう変遷していくのか。
また、この映画は人が罪を犯してしまう時の動機が様々な描かれ方をする。
最も多いのは激情に駆られることによるものだが、その激情も、復讐心によるものや、激しすぎる悲しみ、酒に煽られた結果など様々だ。
それ以外にも恋愛感情によるものや、単純な敵愾心が登場する。
そして、劇中最も悪質な罪を犯すある男。この男は非人道的で同情の余地も無いような描かれ方をするのだが、彼が罪を犯した場所が話をややこしくする。“国家機密になるような、砂っぽい場所”。そう、イラクの戦場だったのだ。
どのような状況だったのかは全く説明されないが、以前鑑賞したブライアン・デ・パルマ監督の『リダクテッド 真実の価値』という映画を思い出した。
イラク戦争でアメリカ軍兵士が14歳の少女を集団強姦し、家族もろとも虐殺し、遺体を焼いて証拠の隠滅を図ったマフムーディーヤ虐殺事件を基にした映画だ。要するに、この男がしたことは、恐らくそれだったのだ。戦場という特殊な環境が男に罪を犯させたのか、それとも元々そういった性質の男だったのか。その動機は一切示されることはない。

結局誰がミルドレッドの娘を殺したのか。それは判らないまま映画は終盤を迎える。物語を通して、一貫した姿勢を貫いたミルドレッドと最も大きな変化を遂げたディクソンは、共に先に言及したある男を殺す為の旅に出る。その男は確かに罪を犯している。だが、その一件は二人にとっては完全に無関係なことだ。果たして、この計画に意味はあるのか。最後のセリフ。この映画は安易に答えなど出さない。
『道々考えればいいのよ』
結論は急がなくてもいい。この続きは鑑賞した者がそれぞれに考えればいいのだ。